『Steve JobsI』と自分part5
〈読書記録 第5章〉
この章では遂に今我々が街やテレビ、Web上で頻繁に目にするAppleの第一歩が踏み出される。
その前に設立にあたり、どういった経緯があったのかのバックグラウンドについて語られていた。
1960年代のシリコンバレーでは、あらゆる文化が混じる中、技術革命が始まり、その後すぐにエレクトロニクス企業やマイクロチップメーカーなどが加わる中で、ハッカーのサブカルチャーも賑わった。
そのハッカー達は、中央集権の権化だと蔑まれたコンピューターを受け入れ、飛躍の道具にしようとし、これは後に私たちの現代へと通じている。
ホーム・ブリュー・コンピューター・クラブ
この会合はパーソナルコンピューター時代の様々なアイデアの交換の場であった。
マイクロソフト創設のビルゲイツやポールアレンも参加したこの会合に、アレンの誘いで参加したウォズはこう語る
あの夜は僕の人生でも有数の大事な夜になったよ
ウォズはその夜、
キーボードとモニターを持ち、少し遠くのコンピューターに接続する仕組みを考えつき、2ヶ月後…
1975年6月29日
この日はパーソナルコンピューターにとって大きな一歩が記された。
この日、初めてキーボードから入力し、それが目の前のスクリーンに表示された。
ジョブズはそれに感動し、あちこち電話して企業から高価なパーツを提供してもらった。
それについてウォズは
スティーブって男はああいうことができちゃうんだ。販売責任者との話がうまい。僕にアレはできない。内気すぎてね。
と語る。
ウォズはこの回路を無償で提供しようと考えていたのだが、ジョブズは違った。
プリント基板を作って販売しよう
こういうのである。
持ちつ持たれつな関係である2人だが、ウォズが語る次の文はソレを物語っている。
僕がすごいものを設計するたび、それでお金を儲ける方法をスティーブが見つけてくれるんだ。
さぁここで遂にAppleが誕生する。
様々な案から決められたAppleという名前はシンプルで親しみやすく、ありふれていながらちょっと変わった感じがする上、アメリカ的で自然回帰というカウンターカルチャーの風味を備えた見事なネーミングである。
さぁ次章から遂にAppleが動き出す。